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織田作之助の育った地
-上汐町、谷町筋 その三
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上六交差点より見る。右が上六近鉄、左がシェラトン都ホテル |
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生魂小学校校庭。当時、校舎の前にそびえ立っていたという心光庵の銀杏は、当然ながら見あたらない。(2010年1月5日現在) 1tanimatisuji3 |
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織田作之助の生まれ育った地-上汐町、谷町筋を行く
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カバー内側左に著者、右に内容の紹介文がある。この本が刊行された昭48(1973)年に著者は五十歳ということになる。36年を経た昨年2月に僕はこれを読んだわけだ。織田作没後六十二年目!!嗚呼!遅すぎる。と思いつつ、今からでも遅くないと自らに言い聞かす。
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僕の織田作散歩の基本資料は大谷晃一著「生き愛し書いた-織田作之助伝-」(講談社 昭和48年10月8日第1刷)である。この本を基に織田作の足跡を辿っている。「あとがき」には、「近親、友人ら二百四十一人からとった聞書によって、この伝記を編んだ」とある。学生時代(織田作の戦後期)本人と何度も接触のあった著者が哀惜を込めてその生涯を克明に描いている。(本の帯右側に「あとがき」からの引用がある)当HPの散歩の記述はこの著書を基にしたものであり、断りなき「」中の文章はそのままの引用です.
カバーの内側には次の紹介文がある。
大谷晃一氏は織田作を始め、大阪の作家や文学風土、はては大阪弁迄多彩な著作をものにされている。