織田作之助の育った地 -上汐町、谷町筋 その三 1tanimatisuji3 上六交差点より見る。右が上六近鉄、左がシェラトン都ホテル 1tanimatisuji3 楞厳寺から上町筋に出て、西側歩道を上六方向へ向かう。上六近鉄並びにシェラトン都ホテルが、巨大な壁!?のように…

1tanimatisuji2 無量寿灸(光正寺) 源聖寺坂から谷町筋に出て、生玉南交差点を渡って、北側角にお灸のお寺光正寺がある。この角が少し空き地になっているので、当初ここが魚鶴跡かと思ったが、そうではなかったのだ。「光正寺の南の向かい側」に、父織田鶴…

織田作之助の育った地-上汐町、谷町筋 その二

1tanimatisuji2 源聖寺坂(谷町筋側より見る) 1tanimatisuji2 谷町筋の生玉南交差点西側を少し南下すると、源聖寺坂があるのだが、これが何度行っても気づかず通り過ぎてしまう。単なる平地の道路なのだ。入り口左角にある食堂が目印。生玉寺町1の標識があ…

織田作之助の生まれ育った地-上汐町、谷町筋を行く

織田作之助の墓にお線香を上げられる田尻玄龍ご住職。 右手に杖をお持ちだが、足取りはしっかりしておられる。 1tanimatisuji 2010(平成22)年正月5日、楞巌寺再々訪問。 三度目の正直とはこのことか!?玄関に向かってご挨拶を何度かしていたら、 何と!織…

表紙の絵は法善寺横丁の「夫婦善哉」の店

カバー内側左に著者、右に内容の紹介文がある。この本が刊行された昭48(1973)年に著者は五十歳ということになる。36年を経た昨年2月に僕はこれを読んだわけだ。織田作没後六十二年目!!嗚呼!遅すぎる。と思いつつ、今からでも遅くないと自らに言い聞かす…

僕の織田作散歩の基本資料は大谷晃一著「生き愛し書いた-織田作之助伝-」(講談社 昭和48年10月8日第1刷)である。この本を基に織田作の足跡を辿っている。「あとがき」には、「近親、友人ら二百四十一人からとった聞書によって、この伝記を編んだ」とある…

織田作之助 -その足跡を訪ねて-

お題「好きな作家」 2010(平 成22)年、西暦では区切りの良 い年を迎え、大阪に帰った正月、 織田作散歩を続行。この歳(六 十六歳)になってナンデヤネンと いうことなんですが。 実は一昨年、「わが町」ベンゲットの たあやんに出会って、その体をはっ…